9月2日の記事


私の父は77歳で他界しました。
特攻隊を志願し、3回の出動を命ぜられたが、天候悪化で戻ってくることになったと話していました。
多くの友を戦争で亡くし、同時に生き残った自分の意味を最後まで問い続けていた父だったと思います。
航空管制官という、特攻隊とは趣は違うものの、空に関わる仕事を選んだのもそんな経緯かと思います。
家に父の特攻隊で敵地に行く前、母親にあてた血判の手紙があります。
若き青年たちの多くが、このように命を国家に捧げることが、国策だった時代があったことは確かでしょう。
私は戦争を知らない世代ですが、父を通して、いかに戦争が人間を苦しめるか、を知っています。
戦闘で死亡するだけでなく、生き残った人も生涯、その戦争を忘れれない痕跡を身体や心に残す。
また家族の、友の傷みも生涯続く。

父は仕事のできる方でした。また、多くの友を持っていました。
しかし、定年を迎え、この磐田市に最後の居住場所と決めてから60歳でアルツハイマーを患いました。
人格が見事に崩れ、大好きな古本屋から勝手に本を持ってきてしまう。
見聞を広めることが好きだった父は、色々なところに出向く人でしたが、段々と帰ってこれなくなりました。
私には、こよなく愛情を注ぐ父でしたので、壊れていく父を目の当たりにするのは、大変つらかったです。
ただ、今思えば、病気で過去を忘れることを父は選んだのかもしれません。
今、ここにある!ことを戦争を境に常に自らに問いつづけた父でしたから。
母の見事な見守りの中、発症後18年で父は他界しました。

私の中では、今も生き生きと語りかける父がいます。
そんな父のことを、私の息子や娘に語っていくつもりです。


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
9月2日の記事
    コメント(0)